母は認知症で要介護1。父は身体不自由で要介護3

母は認知症で介護1。父は脳血栓から左手左足が不自由で介護3。2人ともサービス付き高齢者住宅に別々に入居中。そして、私は一人っ子で遠距離。父母私の日記です。

夏の出来事 その2

ちょっと、ご無沙汰でしたが…

夏の出来事の続きです。

さて、車に乗すのも大変。

父「歩ける!」「かまうな!さわるな!」

 母に「診察券がいる!持ってこい!」

 その間も「何で病院行かなだめなんや!」の連発。

やっとのことで、近所の方の手を借り、近所の方の車(ワンボックス)に乗せてもらい、

車の中では、上半身を両側から支えられ、乗り込みました。

病院に到着してからも、私と母では、父をさせきれないと思いましたので、無理にお願いをして一緒に行ってもらいました。

私と母は、別の車で病院へ向かいました。

病院でも「かまうな!」「どこも悪ない!」の連発。

受付を済ませましたが、持ってきていたと思った診察券が見当たりません!

ここでも父は母に「ぼけとるけ、忘れるだ!」と怒鳴りつけていました。

この診察券は結局、父自身が車に乗せてもらうときに玄関に置き去りにしていたようです。

しかし、「俺は、○○さんに渡した!」と…。

○○さんは、「受け取ってないけどなぁ」と困惑…。

父は「診察券がないと受診出来ない!」

仕方なく、近所の方に自宅へ取りに帰って頂くことになりました。

結局、診察券は無くても以前の受診記録が確認できたので診察は受けれることになりました。

そして、診察が始まりましたが、外傷がない上にその頃は少し歩けていましたので、所見は「異常なしと!」

料金や診察券は明日支払いに来てください。という話になりものの5分程度で診察は終わりました。

CT位とってくれたらいいのに、なーんにもしてくれませんでした。

そこから、今度は看護師さんに手伝ってもらい、私の車に乗せ自宅へと帰りました。

が、その車の中でとんでもない事を口走ったのです!

今日は、ここまでにします。(思い出すと腹が立ってくるので少し落ち着きます。)

夏の出来事。その1

昨年お盆帰省中の出来事を…。

朝起きて、

 7時に朝食 

 9時位から1時間位 朝寝。

 12時にお昼ごはん

 2時位から     お昼寝。

 6時半に晩御飯

その間は、クーラーの効いた部屋でテレビの前に椅子を置いてテレビ漬け。

これが、父の毎日。

母のご飯が少々遅くなっても、既にこの時間になれば食卓に座り、食事が出てくるのを待っています。

誰が居ようがこのサイクルは変更なし。

だから、私が帰省しようがこのサイクルに変更なし。

事件が起こった日も、お昼寝まではこのサイクルで生活をしていました。

お昼寝が終わり、少々涼しくなった4時位から裏の庭に行ったようです。

(後で分かった事ですが…)

そのころ、私は父の姿がテレビの前に無いのを確認しています。

まっ、散歩でも行ったんかな? って思っていました。

でも、私も気にする事もなく、5時過ぎにトイレに行くために1階へ降りていきました。

やはり、父の姿が見ません。

母に聞いても、「裏の庭におんなるダラ?」と…

しかし、家の中から裏の庭を見ても父の姿はありません。

気になって、裏の庭に出てみると…。

父が棚の下に倒れているではありませんか!

お正月同様「いってもうたな!」って…。

慌てて、近寄って父の名前を呼ぶと、意識はしっかりしていて「立てん!」と…。

ともかく、水を持ってきてもらうように母に叫びました。

水を飲まし、うつぶせに倒れていたので、まず、仰向けになってもらおうと、手を貸したのですが、父は全く力が入りませんでした。

うつ伏せ⇒仰向け⇒体育座り⇒立ち上がり⇒移動 という順番で父の体重を全て受け止めながらの悪戦苦闘!

手足に全く力が入らず、私の全身で父を支えているという状態でした。

棚にもたれさせていても、気を抜くと足に力が入らないのでそのまま、座ってしまう。

父はそんな中も「しっかり支えてくれ!」の一点張り。

日も暮れ、8時も近くなっても思いのほか倒れた場所から進でいません。(この時移動距離は50センチ位)

それまでも、何回か「近所の人を呼ぶよ」って言っても、頑として聞き入れてはもらえませんでした。

私の体力(筋力)の限界です。とうとう、母に、近所の男性の方を呼びにいってもらいました。

ここでも、まだ、ぶちぶち文句言っていましたが・・

近所の男性の方に負ぶってもらい、家の中にやっと連れて入りました。

身体を拭き、着替えさせて、病院へ連れていくことにしました。

が…。案の定、強固に「行かん!」の一点張り。

何とか、みんなで説得し、病院へと行きました。


私の涙を返せ!事件

昨年お正月で帰省をしていた時の事…。

毎年恒例の内輪での新年会。

みんなでおせちを食べ、お酒を飲み過ごしていました。

父も、うすーっくうすーっく作ってもらった焼酎のお湯割りをコップ1杯飲んでいました。

そして、ワイワイと話をすることに疲れたのか、同じ部屋内のこたつへと移動していきました。

残った者で、まだワイワイと楽しく過ごしていました。

が・・・・!!!

こたつに座っている父の様子がおかしい!!!!!

意識がない!!!!!

顔面蒼白!!!!

えらいこっちゃ!!!!

「いってもうた?!!!」

父の名前を必死で呼びかけながら脈を診ると触れるのでともかく「いってはいない」

で、父の耳元で肩をたたきながら必死で「お父さん!」と叫んでいました。

この時はすでに、涙ボロボロ状態です!

そして、そこにいた叔父に救急車を呼んでもらい、母がパニックにならないように、従弟に母の傍にいてもらい、救急車が来るのを待っていました。

何度か「お父さん!」と叫んでいるうちに、父が「何騒いどるだ!なんともないわい!」と怒りながら意識を取り戻しました。

しかし、救急車は到着し救急隊員の方に対応してもらいましたが、既に当の本人は、「なんともないわい!」の一点張り!

「念のために病院へ行きましょう」という救急隊員さんや私たちの言葉には耳を貸さず、

救急車には帰ってもらい、慌てさせられた私たちには

「何をガーガー言っとるだ!やかましぃ!」とのお言葉…。

我が父ながら、「何なん!この人!感謝という気持ちはないのか!」と腹が立ちました!

さっき、涙を出しながら心配した私の涙を返せ!!!!