母は認知症で要介護1。父は身体不自由で要介護3

母は認知症で介護1。父は脳血栓から左手左足が不自由で介護3。2人ともサービス付き高齢者住宅に別々に入居中。そして、私は一人っ子で遠距離。父母私の日記です。

介護認定の事…

今日は、介護認定の事を書きます。

私は介護認定というものはかかりつけのお医者さん又は民生委員さんが申請助言又は、申請をしてくださるものだと思っていました。

母も父も、かかりつけの脳神経外科、内科、整形外科、民生委員さん、すべての方に何も言われず過ごしてきました。

結局、父が硬膜下血腫で入院した病院で初めて、お医者さんとソーシャルワーカーさんから介護認定のお話をしていただきました。

担当の先生は、認定を受けていないことにびっくりしておられました。

民生委員さんは、ちょくちょく実家へ様子伺いに行っていましたし、母は、脳神経外科で初期の認知症と診断されていました。

父も、もともと母と同じ脳神経外科を受診していましたし、硬膜下血腫で入院した病院は月に1回、外科および脳血栓の予後管理のために通院していました。

母が通院していた脳神経外科には、「症状が進んだりしたら必ず連絡をください」とお願いをしていましたが、認知症を発症してから1度も連絡もなく、大丈夫なものだと思い込んでいました。

だれからも、何も助言もなく、なんだか、自分の勉強不足もあるのでしょうが、「優しくない世の中なんだ」と感じてしまいました。

ともかく、役所へ父の介護申請を提出に行き、ついでに母の介護申請も提出しようと思いましたが、これがまた、役所の担当の方が一度母に会っていたようで「お母さんは、提出されても無理ですよ!」と私に言い放ち、結局その日は父だけ提出して帰りました。

しかし、納得がいかなかったので、母が体調を崩し入院したかかりつけの脳神経外科の看護婦さんへ愚痴っていたら、看護婦さんが「それは、おかしいで!お母さんは、長谷川式で9点やで!申請しておいで!」といってくださり、翌日、役所へ「ダメもとで結構ですので母の介護申請をさせてください」と申請をしました。

申請自体、だれの判断で行うべきものなのか全くわかりませんでした。

正直、今でも、どの段階でだれが申請の助言等をくださるのかわかりません。

結局、審査やなんやを通過し、母は介護1・父は介護2 の認定が下りることになりました。

父 入所迄の道のり

今日は、父の入所までの道のりを…。

昔ながらの亭主関白を絵に描いたような父。

「俺の言う事は、絶対!」と言う父。

果たして、施設入所に首を縦に振るのだろうか?

と不安がいっぱいで話を切り出しました。

父 「なぜお母さんは、見舞いに来ない!」

私 「お母さんも具合が悪くなり入院した。」

父 「お母さんはボケているから入院したんだ!」

私 「違うよ。お母さんはお父さんの硬膜下血腫入院やらで疲れたんやで」

父 「違う!あれ(母)は、ボケが進んだからだ!」

 と、母のボケを連呼。で、ここから入所の話をする事に…

私 「お母さんも入院してしまい、私も今は実家に帰ることが出来ない。

   お母さんも施設に入ってもらうんだけど、お父さんも実家での一人暮らしは

   無理やろ?

   いつまた一人で倒れるかもわからないし、倒れても一人で起き上がれない。

   そんな状態でご飯も作られない。

   一人娘の私が面倒を見なければならないのだけれど、私も今は無理やし、

   お父さんが倒れても、私一人では助けてあげられない。

   申し訳ないんだけど、老人がいっぱいいるアパート(サービス付き高齢者住宅)に

   に住んで欲しい。」

   と…。びくびくしながら父の反応を待っていました。

   すると

父 「仕方がないなぁ」と一言。

母の時と同じく、ホットした気持ちと申し訳ない気持ちが混ざって、複雑でした。

父 「お母さんと一緒のところか?」

私 「違うで。」

父 「一緒のところにはならないのか?」

私 「空が無かったから別々のところ」

父 「仕方がないな」

と…。

父の入所は、年末に決まり、そこまでは手術をした病院に入院をしている事になりました。

父は、今まで何回か入院をしていますが母は毎日欠かさず顔を見せていたのに、今回は手術の日を境に全く顔を見せないことが寂しそうでした。

母が、父の顔を見に行かない理由・一緒の施設ではない理由は、別にあるのですが、それはまた後日の日記に書くことにします。

一人っ子の私に降りかかった突然の入所場所探し、介護申請と聞いたこともない手続き。この事も後日の日記に書くことにします。

初めまして。(母入所決定まで)

初めまして。父母を突然施設に入所させなくてはならなくなった遠距離 1人娘です。
母は、3年くらい前から軽い認知症を発症していました。
父は、8年くらい前に脳血栓で左半身が不自由となっていました。
昨年(2015年12月)までは何とか2人で生活をしていました。
しかし、昨年の11月に父が硬膜下血腫を発症し入院をしたことをきっかけに、母の状態も悪くなり、父の入院中も母1人実家で生活をさせる事が出来なくなりました。
又、母も父の面倒で疲れたのか入院…。
母を、私と一時同居させるつもりでしたが、よくよく考えてみると、調子の悪いときに環境をガラッと変えると認知症が進んでしまう。そして、私も仕事をしているので日中は1人。慣れない家で慣れない風景で過ごせるのだろうか?と悩みました。
(この時はまだ介護認定の申請すらしていませんでした。)
ここで、一旦父の事を…
父は父で硬膜下血腫の除去の為に、入院。(母とは違う病院)
硬膜下血腫の除去は上手くいき、後は血腫が出来た部分の脳の回復度合いが問題だと…。
その時に、初めて介護認定の申請を進められました。
そして、現状入所できる施設の話も出てきました。
「父の退院までに考えたらいいや」と軽く考えていましたが、入所自体難しいと…。
空がないかもと…。
父母とも入所できるところを探さなくてはならなくなりました。
幸いサービス付き高齢者住宅が一か所空きがありました。
やれやれと思ったのもつかの間、母が「父とは一緒の施設は嫌だ」と!
たまたま、見つかった施設は、建物が全く別で3棟の顔を合わすことの無い施設でしたので、別々の棟に申し込みをしました。
しかし、施設に入ることを母に納得してもらわなくてはいけなく、
「ともかく、見学に行こう!」と誘い出しました。
「見るだけやから」と…。
施設に行くと、なんと知っている方がいらっしゃいました。
その方の顔を見たとたん「私、ここで頑張る!」と言ってくれました。
「ホット」したのと「ごめんなさい」という気持ちとが混ざって複雑な気持ちでした。